今大人気のなにわ男子ですが、結成当時は批判が続出していました。ブレイクぶりを見ると妥当な人選に思えますが、どんな理由で批判が出ていたのでしょうか。また、結成当時メンバーにどんな秘話があったのでしょうか。
今回はなにわ男子結成当時の批判理由や結成秘話を紹介します!
結成当時に批判があったって本当?
なにわ男子は2018年に梅田芸術劇場で開催された関西ジャニーズJr.のコンサート「Fall in LOVE〜秋に関ジュに恋しちゃいなよ〜」の初日、10月24日にお披露目されました。
その前に、アイドル誌の早売りが流出し、西畑大吾くん・大西流星くん・道枝駿佑くん・長尾謙杜くん・高橋恭平くん・藤原丈一郎くん・大橋和也くんの7人でなにわ男子と判明しました。
なにわ男子のメンバーが発表された途端、Twitterなどでは賛否両論の意見が飛び交うことに。なにわ男子に選抜されなかったメンバーのファンはもちろん、選抜されたメンバーのファンからも当時、批判の意見が多く出ていました。
ユニット結成は喜ばしいことですが、なにわ男子の場合はどうしてここまで批判が出たのでしょうか。
批判の理由は?
なにわ男子結成でファンから批判が続出した理由は、それまで人気だった括りが崩れたこと、メンバー間の経験値・実力差が大きかったことの2点が考えられます。
なにわ男子結成前までの関西ジャニーズJr.の構造は以下のような括りでした。
メイン…西畑大吾・向井康二・大西流星・室龍太
Funky8…藤原丈一郎・大橋和也・今江大地・朝田淳弥・林真鳥・草間リチャード敬太・古謝那伊留・末澤誠也
信号トリオ(次世代組)…道枝駿佑・長尾謙杜・高橋恭平
また、当時の関西ジャニーズJr.の立ち位置は以下の通り。
ただし、当時の関西ジャニーズJr.にユニットは存在せず、あくまで括りという状態でした。
メインの4人からは西畑くんと大西くんがなにわ男子に選出。当時すでに向井くん・室くんはそれぞれ24歳と29歳。なにわ男子に選抜されなかったことで、年齢的に関西からのデビューは絶望的になってしまいました。
そのため、当時向井くんや室くんに対しては、「関西を引っ張ってきた功労者にこの仕打ちはどうか」と向井担・室担だけでなく関西ジャニーズJr.のファン全体から声があがっていました。
またFunky8は、関西の中でも特に熱心なファンを抱えており、本人たちもファンも公式ユニット化を目標としていました。
しかし、梅田芸術劇場公演の1年ほど前からFunky8の括りは崩壊しかけ。藤原くん・大橋くん+1〜2名が関西ジャニーズJr.のコンサートに出演し、他のメンバーは先輩のツアー帯同や舞台に出演しているような状況でした。
そんな状況の中でなにわ男子が結成され、Funky8のユニット化は絶たれてしまいました。また、Funky8のメンバーも大学を卒業する年齢のメンバーが大半で、なにわ男子の結成によりデビューも絶望的となります。
当時信号トリオと呼ばれていた道枝くん・長尾くん・高橋くんの3人はずっと関西ジャニーズJr.の次世代を担うメンバーとして期待されてきました。しかし、元々控えめな性格が相まって、メイン4人やFunky8のメンバーには実力面で相当及ばないレベルでした。
加えて、当時関東はまずユニットに入れないとデビューできないユニット至上主義の風潮がありましたが、関西ジャニーズJr.にはそもそもユニットがありませんでした。
なにわ男子の結成によって関西にもユニット至上主義の風が流れ始め、ファンも「自担がユニットに選ばれないとデビューできない」とピリピリし始めたのも炎上に繋がった理由として大きいと思います。
これだけ批判の理由があれば、炎上になるのも当然ですね。そしてそれぞれの括りのファンを追い込んだのが梅田芸術劇場でのコンサートです。
西ジャニーズJr.の人気メンバーは20歳以上のメンバーが大半で、みんな次選ばれないとデビューは絶望的という状況。
なにわ男子の結成が発表され、なにわ男子がメインの衣装を着ている中で、違う衣装を着てパフォーマンスをするメンバーには、見ていて辛いものがありました…。
なにわ男子の結成当時の人気順は?
なにわ男子結成当時の人気は以下の通りです。
1位…西畑大吾2位…大橋和也
3位…藤原丈一郎
4位…高橋恭平
5位…道枝駿佑
6位…大西流星
7位…長尾謙杜
今のなにわ男子のメンバー人気は大橋くん一強状態ですが、結成当時は大分今と人気順が違います。結成当時は兄組の人気が高く、弟組はこれからという状況でした。
どうしても中高生は子供に見られてしまいやすいので、兄組に人気が集中するのは当然のことですね。
順位で驚くのが大橋くんの人気です。当時、大橋くんはバックがメインなのにも関わらず、ファンサマシーンでメインに食い込むだけの人気がありました。
ただ、当時の関西ジャニーズJr.は西畑くんや藤原くん・大橋くんら兄組と大西くんや道枝くんら信号トリオに、正門くん小島くんを加えた次世代組に分かれていました。
西畑くんには演技の仕事が立て続けに入り、年齢的にも演技班に行くのではないかという雰囲気もありました。また、藤原くんらの人気メンバーも舞台の仕事が続いていました。
当時の推され度合いも、藤原くん大橋くんより正門くん小島くんの方がやや推されている状況。そのため、デビューは次世代組が中心となり、兄組は舞台班行きと考えるファンが大量に出ました。
丈橋シンメの風向きがガラッと変わり、人気がさらに急上昇するきっかけとなったのが、2人が主演を務める人気ミュージカル「リューン」です。リューンは初日までチケットが定価割れ状態だったのに、評判が評判を呼び、最後の大阪公演は定価以上の値段で取引されるほど、ファンから高い評価を受けた内容でした。
そんな中でリューンが開演し、丈橋シンメは確固たるものになりました。藤原担・大橋担だけでなく丈橋シンメのファンも続出しました。
なにわ男子結成直前まで丈橋シンメと正門小島シンメが横並び状態だった状況が変わったのはやはりリューンが大きいでしょうね。
リューンの初演がなにわ男子結成の半年前と考えると、デビューは本当に運とタイミングの要素が大きいんだなと思います…。
結成秘話はある?
なにわ男子結成秘話は、まさかのユニット結成をメールで知らされる事件が有名です。
ジャニーズでグループを結成する際は、ジャニーさんから招集を受けて直接結成を伝えられるのが一般的。ただ、なにわ男子はまさかのマネージャーさんからのメールで結成を知ることになりました。
関西の扱いは関東と比べて雑とよく言われますが、まさかここまでだとは思いませんよね(笑)。
また結成当初の、やはりなにわ男子の兄組+大西くんと、信号トリオのスキルの差問題も結成当時の秘話として語り継がれています。
なにわ男子結成当時、信号トリオはダンスや歌のスキル部分はもちろん、トークでもあまり前に出られずにいました。
逆になにわ男子に選ばれなかった関西ジャニーズJr.のメンバーは一瞬でも何かしら爪痕を残そうと、先輩にネタを提供してガンガン前に出ていました。
この状況になにわ男子最年長の藤原くんが信号トリオを呼び出して一喝。
そこから一気に3人に火が付き、ボイトレなどに励むようになるエピソードもありました。
ちなみにこの当時の様子はRIDE ON TIMEのシーズン1の17話〜20話で確認できます。
NETFLIXやAmazon primeなどで視聴できるので、会員の方はぜひ見てみてください。
大倉くん(関ジャニ∞)のプロデュースは結成当初から?
なにわ男子と言えば、大先輩関ジャニ∞の大倉くんがプロデュースするグループとして有名です。ただ、いつからどこまでプロデュースしていたのでしょうか。
関ジャニ∞の横山くんと大倉くんに関しては、なにわ男子メンバー編成の段階からプロデュースに関わっています。その後、2018年の梅田芸術劇場のコンサートからはコンサート演出にも。
その影響か、2018年〜2019年頃の関西ジャニーズJr.のコンサートは関ジャニ∞が松竹座で公演をしていた頃によく歌われていた曲も多くセットリストに組まれていました。
その後は関西ジャニーズJr.全体を見つつも、大倉くんはなにわ男子、横山くんはAぇ! groupを中心にプロデュースをすることになります。なにわ男子には相当べったりなようで、デビュー日の会見にも同席していたほどです。
ただ、なにわ男子ばかりではなく、Lilかんさいの西村拓哉くんなども大倉パパと慕っているようなので、関西ジャニーズJr.の主力メンバーは全体的に大倉くんによる指導を受けているのではないでしょうか。
正直関ジャニ∞のファンの中には大倉くんがプロデュースに時間を割くことに不快感を示している人も少なくありません。そんな状況でも社長亡き今、後輩の育成に注力してくれるなんてありがたい限りですね!
まとめ
なにわ男子結成当初は、実質ユニット状態だった括りの解体など様々な理由から批判の嵐でした。そんな状態から3年を経て、誰もが納得する状態でついにデビュー!
なにわ男子自体もうデビューを前提に組まれたユニットなのは明らかだったので、デビューまでの3年間は長かった感覚があります。
デビューシングルの売上はなんと70万枚越え!結成当時の秘話のようなエピソードも乗り越え、華々しいデビューを果たしました。
すっかり今ではお茶の間にもなにわちゃんの愛称で親しまれるようになったなにわ男子。国民的アイドルと言われるようになるまで成長してくれると信じています!
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